私の想いは届かない

二つ目のショックなシーンが

 

そろばんをやっていた小学校の時

 

楽しくて楽しくて

 

そろばんを弾くことに集中している時間がとにかく心地よかった

 

 

めきめき腕をあげたし

 

一回も試験を落とさなかった

 

母に毎回賞状を見せるのか楽しみだった

 

 

母はあまり喜怒哀楽をださないひとだった

 

ある日1級に合格した

 

すごく嬉しくて、その日も母に賞状を持っていった

 

その時の光景が忘れられない

 

母が、ふぅんと後ろを向いて行ってしまった

 

私はその姿が絶望的なほどショックだった

 

お母さんは嬉しくないの?

私こんなに頑張ったのに

お母さんに喜んで欲しくて

笑顔になってほしくて

一生懸命頑張ったのに

 

私がやってきたことは全部意味なかったの?

 

そうか

 

私がやることには価値がないんだ

私がやることには誰も興味がないんだ

私がやることには誰も喜ばないんだ

私がやることは無意味だ

私がやることは誰の影響にも与えないんだ

頑張ったって意味ない

どうせ頑張ったって意味なかった

頑張ったって意味ない。。

 

 

お母さんのために頑張ってきた

私自身も楽しくてやってきた

 

けど、

どれだけ頑張っても誰にも喜んでもらえず

私が楽しいと思うことも結果的に無意味無価値になってしまった

 

私が楽しいと思うことなんて

価値がない生産性もない

 

ましてや誰かのためにやったって価値がないのかもしれない

 

母がダメならばあちゃんのところへ行こう

 

 

つぎはばあちゃんに褒められるように、ばぁちゃんにとってのいい子をえんじはじめた

 

頭が良くて礼儀正しくて近所でも評判のいい子

 

あの頃の私は自分を犠牲にして、自分を押し殺してでも他人に賞賛させないと自己価値を見出さなかった